小池百合子が希望の党設立後、民進党から入ってくる議員の受け容れに際して考えの違う人は排除すると言って物議を醸した。
私は、小池は全く支持しない嫌いでもあるが、小池が唱える排除の理論は正しいし、何処が悪いのかさっぱり分からない。ひとつの政党で動くに当たっては、鍵となるいくつかの点があるからだ。学芸会なら考えの違う人でも一緒に共演せざるを得ないけれど、政治の話はそのような次元の低いものではない。
民主党、民進党がなぜ失敗し嫌われたかと言うと、以下のような点が主なものである。
1 政権担当能力に著しく欠けていることがばれた。
2 改憲議論に応じるべきだという考えの人と、絶対護憲派の人がひとつの党にいて、話がまとまらなかった。
3 蓮舫や山尾しおりのような、疑惑があるにも拘わらず疑惑にきちんと答えようとしない人がいることがばれた。
4 朝鮮系帰化人議員が多く、死那や朝鮮の為になることばかりする売国奴の集まりであることがばれた。
5 大半の議員が反日・売国奴・極左であり、危険な集団であることがばれた。そのため、支持母体の連合でさえも、一部は自主投票あるいは産別労組の思うがままにすることを許容しなければならなかった。
さて、この排除の理論は何も政治に限定されない。文化、民族、宗教の問題も同様だ。
日本のキリスト教は、キリスト教が日本に入ってきてからずっと人口の1パーセントに満たない。これはキリスト教のような一神教を日本人は好まないからだろう。無意識のうちに日本人はキリスト教を排除しているとも言えるし、避けているとも言える。もちろん、信仰の自由は日本では保証されているので、法律面や倫理的側面では排除などされていないのだが。
しかし、キリスト教では神様を信じない者は救われないというのだから、これもまたひとつの排除であろう。浄土真宗でも「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽に行けると唱える。南無阿弥陀仏と唱えない人にとってはそれもまた排除である。
ただし、このような事柄を排除の問題とみるのか、または信仰の問題とみるのかは、人によって違うだろうし、解釈が違っていても当然だろう。
文化面では、捕鯨問題で日本は世界から排除されている。日本人には捕鯨のきちんとした理由があるが、いまのところ為す術がない。こう言う流れは、誰かが金を出して日本を叩いてやろうという白人がいるから、あとを絶たない。何故日本人が叩かれるのかというと、怠け者の白人の冨の源泉であった植民地を、日本人が起こした大東亜戦争で結果的に失ったからだ。
民族の問題もまたしかりである。日本に合わない民族は排除されるのが当然である。危険性ゼロの人畜無害な外国人であれば受け容れても良いが、経済的理由から日本に来ようという外国人が人畜無害であるはずがない。
群馬県大泉町の失敗を見れば分かる。税金は滞納し、ゴミの分別は規則を守らず、生活保護には群がる。こんな外国人を受け容れるのは愚劣なことである。
在日朝鮮人擬き達が日本に順化して大人しく暮らしているのであれば何も言わない。しかし、政治には口を挟み、ジャーナリスとや記者として反日の記事を報道するような輩は追放されるべきである。沖縄で反対運動に血道を上げる在日朝鮮人擬きは追放されるべきである。パチンコ屋は倒産すべきである。朝鮮人擬きの池田駄作の個人崇拝でしかないそうかがっかりは解体されるべきである。
ああ、在日朝鮮人擬き達は本当に穢らわしい。汚い。見苦しい。乞食だ。キチガイだ。危険だ。
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