https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12321272346.html
引用ここから
鄧小平時代の「改革開放」は、もはや死語になっている。2015年の手痛い経験から、市場に依存するとリスクが高くなる。国家資本主義という統制経済のほうが、優れたモデルであるとの考えに行き着いたという。政府主導の経済モデルを「微調整」して、経済的なリスクを最小化するという間違った安全策に切り替えたのだ。
中略
(7)「市場の力は中国共産党を助けるのか、それとも足を引っ張るのか――この疑問が重大局面を迎えたのは2015年だ。同年、中国は株価急騰に湧いていた。個人投資家は『習おじさんの強気相場』に乗じようと、信用取引による株購入に熱中した。だが6月の株価暴落で潮目が変わる。その影響は世界中に波及し、中国政府を当惑させた。8月には人民元の基準値を切り下げる通貨当局の試みを機に、元安が進行した。この混乱は習氏に大きな試練をもたらし、投機的な動きを止められない当局に同氏は不快感をあらわにした。その後数カ月で、中国の市場原理の力に対する傾倒は崩壊した。国有企業は株の買い支えで協力し、政府は空売り規制を強化した。元安による大規模な資金流出を受け、中国人民銀行は全力で元を買い支えた」
中略
市場経済システムを無視した旧ソ連経済の破綻を見れば明らかなように、「中国的社会主義」などは言葉の遊戯に過ぎない。中国が標榜する「社会主義市場経済」は、非効率経済の象徴である。無駄の再生産は可能だが、それを予防するシステムが備わっていないからだ。中国は、今後もこの経済システムに依拠するという。結末は、見透かされているのだ。
引用ここまで
今更効用のない薬を飲めば、副作用がかえって大きくなると言うことに気が付かないでいるとしたら、習近平はよほどの大馬鹿者である。
死那にとって必要なのは、漢方薬のように長年服用すればじわりじわりと効果が出てくる処方である。それは資本主義に向かって少しずつ解放を推進することで民間の力を大きくし、消費拡大に努めることだ。
死那の富裕層は、日本に観光旅行に来たことで日本の素晴らしい消費文化を知った。自由に良質なモノを買えることの素晴らしさを知ったら、死那国内での買い物などには満足できないことは明々白々である。さらに、彼等は「モノ消費」から「コト消費」に向かっている。
「モノ消費」と「コト消費」の定義はこちらから。
https://kotobank.jp/word/モノ消費とコト消費-1748466
そうなれば死那の富裕層は(大多数の死那人は貧乏であり、彼等は消費するだけの収入がなく、日本にも来られない)、日本に来てモノとコトの消費に励むだろう。つまり、死那国内には金が落ちない。これでは、死那の消費拡大など夢のまた夢である。
愚かな指導者が率いる国は必ず没落することは、歴史が証明済みである。
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