「世界中の慰安婦像をクレーン車で撤去したい。父の過ちを糾したい、少しでも罪滅ぼしをしたい、そういう気持ちから、私の知りうることをすべてお話しします」
重い口を開いたのは、吉田清治の長男だ。ジャーナリスト・大高未貴さんが『新潮45』9月号で発表したスクープ記事。そこには、想像を絶する慰安婦捏造事件の舞台裏が明かされていた。
中略
「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」
2年前の朝日“吉田社葬”直後、清田治史は週刊文春の直撃取材に、そう答えた。捏造紙もデビュー記事の執筆者を清田治史と説明したが、一転翻し、「昔なので誰が書いたか不明」とシラを切る。
記事を清田が執筆し、南鮮から送稿したことはダブー中のタブーなのだ。それは朝日新聞が南鮮情報機関とタッグを組んで捏造プロパガンダを拡散していたという黒い舞台裏を暴き出してしまう…
文春の取材で記事執筆を認めた直後、清田治史は勤務先の帝塚山学院大を辞職。その後、公の場から完全に姿を消して早くも2年が経つ。捏造報道の最重要人物は雲隠れしたままなのだ。
今年4月末、捏造紙の元大幹部・若宮啓文が北京で客死した。ソウルから北京に入った日の夜、ホテルの風呂場で急死したという。約2週間後に発売された週刊誌で未亡人が明かした死因は衝撃的だった。
「今もよくわかりません」(週刊新潮5月19日号)
若宮の謎めいた最期を知ると、次いで清田治史の身の安全が気懸りになる。清田は昭和57年夏、若宮と入れ替わる形で南鮮・延世大学に留学した。KCIAが育てた捏造紙2代目の反日工作員だ。
同じく延世大に籍を置いた後輩の捏造魔・植村隆は、海外巡業も含む講演活動に励み、スラップ訴訟を繰り返す。これは捏造紙上層部が清田を隠す目的で仕掛けた一種の陽動作戦なのではない
捏造慰安婦事件の核心を知るのは、清田治史である。果たして今も関西エリアに居住しているのか…史上最大規模の報道犯罪を実行したにも拘らず、誰からも追跡されず、長い沈黙が続く。
引用ここまでだ。
朝日新聞は会社ぐるみで朝鮮人慰安婦問題の捏造に力を入れていることが良く分かる。このような反日機関はさっさと潰さねばならない。
http://dogma.at.webry.info/201609/article_4.html
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