英霊に捧げる

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引用ここから

「栄光の死は屈辱の生にまさる」

オランダ戦犯に問われた海軍中将の醍醐忠重侯爵の罪状は、ポンテアナクで現地人を逮捕して拷問、殺害を部下に命じたというものであった。

ポンテアナクの抗日事件は華僑が武装蜂起して守備隊を全滅させようとしたのが発覚して首謀者が処刑された事件であった。

この事件の責任は醍醐中将にないと、部下から裁判でその旨を主張するように言われた醍醐中将は「自分という最小の犠牲でこの事件が解決することを念じている」と言った。

この結果、醍醐中将一人の処刑となり逮捕者は出なかった。

醍醐中将は処刑の前にオランダ刑務所長から「言い残すことはないか」と聞かれてこう答えた。

「日本は絶対に正しかったとは言わないが、今回の戦争は多分に日本にとっては米国から追い詰められ仕掛けられた戦争であった。私はいずれ後世の歴史家が日本のやむを得ざる立場を明らかにしてくれることを信ずる」と言い、国歌「君が代」を歌い、「天皇陛下万歳」三唱して処刑された。

日本人として考えたい。

英霊は時代の犠牲者ではない。

慰霊は決して哀れむことではない。

「後を頼むぞ」と託された我々日本人が、日本人として英霊に続くことを誓うことが本当の慰霊である。

國體を中心としたこの「縦のつながり」こそ「民族の紐帯」である。

「靖國」とは「安国」、つまり国を安らかにするために殉じた者を祀ることである。

8月15日は心安らかに「國の鎮め」(陸軍)、「水漬く屍」(海軍)を拝聴したい。

引用ここまで

大東亜戦争は、白人の支配する当時の世界秩序に対する挑戦であり、また米国に追い詰められた結果であった。

石油まで断たれたら、戦争するしかなかった。

「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」

戦時中の元帥(げんすい)で海軍大将、第二十四代聯合艦隊(れんごうかんたい)長官、第三十八代海軍大臣、第十六代海軍軍令部(ぐんれいぶ)総長という「海軍の三長官全てを経験」した唯一の軍人が永野修身元帥のことばである。

今日は終戦記念日である。

靖国の英霊に敬意を表し、安らかな眠りを祈り、二度と世界の何処ででも戦争が起きないように祈りたい。





孤独な自獄論者

何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり

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