久し振りに「小坪しんや」さんの記事を取り上げたい。
引用ここから
パチンコの悪とは、あの「音と光」にある。
人間が動物ではない証明として、教育により得てきたもの、その「脳の外皮」を削ぎ落していくのが「単純なまでの音と光」だ。
店舗内の大音響も含め、筐体の発する光など、すべてが高度に計算されつくした「脳の破壊装置」だと考えている。催眠状態に陥れていくというか、人を単純化させていくための仕掛けだ。
あの音の中、一定リズムの光の明滅を凝視させることで、動物的な欲求に従属させていくための装置。それがパチンコやスロットの機械だと思っている。それゆえの開発費であり、それゆえの製造コストなのだろう。あれは緻密なまでの「人間破壊装置」だ、と。
次に、お金、だ。
実はお金じゃなくてもいい、とりあえず「大事なもの」である必要がある。
光と音で裸にした脳みそに何をぶちこむか。
人間には、三大欲求がある。
食欲・睡眠欲・性欲だ。
もっとも近いものは性欲だろう。
生活を営むにあたり、必須の「お金」という大事なものを、「凄い勢いで消費」させ、「あー、お金がなくなる」という危機感、ハラハラが大切。
このハラハラ、リスクに対し、「戻ってくる」「勝つ」などのカタルシス、満足感。
失う恐怖、得た快感。
このシーソーゲームは、非常に強い麻薬のようなもので、
実際に脳内麻薬が出ていたかと思う。
脳のシナプスは、電気回路みたいなものだが、「何度も通過」することで、どんどん太くなる。濁流が小川をやがて大河にしていくように。
先ほどお金じゃないくていいと書いた。
「大事なものを失うリスク」に人は恐怖を感じ、それを失わずに済んだ安堵、もしくは「大きく得た快感」というものに、依存していく。
これがギャンブル依存症の仕組みだと、私はそう考えている。
だいたい当たっているとは思うが、私見である、自分の行動を鑑みての。
引用ここまで
つまり、一か八かというところに人間はスリルを感じて賭博をするが、法律が改正されるとパチンコのギャンブル性が非常に薄まってしまう。ギャンブルがただの暇つぶしになるのでは、パチンコ産業は衰退する。そういう点が安倍内閣憎しという流れのひとつを形成していることは間違いない。
だから、これを日本人一般として考えると、大変良い内容の法改正だと言えるのである。
パチンコのような依存症を作り出す産業と比較すれば、IRでは入場料を払わされるので、貧乏人はそんなところには行かないし、現金でしか決済できないので大きな賭は不可能だから魅力がない。だから、金持ちの外国人だけが遊べるという日本人にとっては非常に健全な法案である。これを潰そうというのが民進党である。全く朝鮮人の手先でしかない。
https://samurai20.jp/2017/08/pachinko-3/
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