金子光晴 「おっとせい」
この詩は非常に長いので、最後のほんの一部のみを引用する。
引用ここから
だんだら縞のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴ら
の群衆のなかで
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、 反対をむいてすましてるやつ。
おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「 むかうむきになってる
おっとせい。 」
引用ここまで
金子光晴は、戦争に浮かれている周囲の日本人が厭だったのだろう。自分もオットセイではあるが、向きが違うのだよと、わざわざ断った。
戦時中には特高警察からも目を付けられていたのだが、あまりにも巧妙な表現なので、逮捕や出版停止、削除などの騒ぎにはならなかったようだ。
大東亜戦争は、日本が追い詰められた上でのやむをえない戦争であり、白人支配との闘いだったが、そんなことは金子には関係がなかった。ただただ、戦争に支配された日本の空気と、その空気の中にへ生きざるを得ない、日本人が厭だったのだろう。
だからこそ、自分もオットセイだと認めた上で、自分はむこうむきなのだと表現した。これを嘲笑、あざけりと解釈するのは可能だし、同情あるいは諦念と解釈するのも可能だ。
芸術家というのは、政治思想を表現する場合もあるが、そういう人はあまりよき芸術家にはならない。政治的プロパガンダだけが人生ではないからだ。
さて、私が何を言いたいのかというと、時代や他人に同調せずに、自分の核になるものをしっかり持って生きる必要があると言うことだ。
金子は、その点見事に自分の核を持っていた。ただの反戦思想家ではない。反戦思想が好きな人は、この金子の詩を取り上げて立派だと言う。私は、先の大戦は白人支配に抵抗したものであり、悪魔のようなルースベルトとチャーチルに追い詰められての戦争だと思っており、全然否定的に捉えていない。
反戦思想に凝り固まった人から見れば、私の意見は矛盾している様に見えるかも知れない。しかし、私は、金子光晴のこの詩は、反戦詩などではなく、生きにくい現実を生きねばならない人間の苦しさを良く表現した詩であり、芸術作品としての点数は高いと思うからだ。
私は、たとえこの日本が死那に支配されるようなことになっても、皇室を仰ぎ、古事記や日本書紀の世界に心を躍らせ、伊勢神宮を思い続ける。そんなことをすれば殺すぞと言われてもそうする。何故なら、私は日本人だからだ。
伊勢神宮に参拝したときに、神様が歓迎の意を表して、御帷を舞い上げてくださったときの感激を忘れるわけにはいかないからだ。
http://sky.geocities.jp/ppp_dot/index1-kaneko1.html
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