議論せよ


http://www.sankei.com/column/news/180202/clm1802020004-n1.html 

引用ここから  

 アメリカ政府が日本の核保有に肯定的か否定的かは即断できるものではない。核保有を選択する場合、日本のNPT脱退は不可避である。国際的反響も見極めておくべきであろう。  

 要するに、核保有により得るもの、失うものは何か。実現のために必要な手順の如何(いかん)について研究を進めることが重要である。実務者、専門家、有識者レベルの、冷静でタブーのない検討がまず求められよう。  そうした研究、検討を踏まえた国政レベルでの議論が行われ、民主主義、法治国家の定める手続きを経て国策決定がなされるというのがあるべき姿だろう。  

「先入観」に基づいて、議論を封殺することは禁物である。こうした議論自体が、健全な「抑止力」につながることも期待できるだろう。(元駐米大使・加藤良三 かとうりょうぞう) 

引用ここまで  

 朝鮮半島から核がなくならない限りは、日本も核を保有すべきである。  

 偽札、麻薬、武器修理、拉致など金のためなら何でもする北朝鮮と、日本が憎くて仕方がない南朝鮮の朝鮮人擬き達が核を持ったら、戦争などしていなくても日本に突然見境なく核を使うことは間違いない。正気を失った民族だから。  

 死那やロシアは日本が戦争でもしない限り、核を使うことはない。大国として核を使うことでどれだけの国際的非難を浴びるかを良く理解しているからだ。  

 そう考えると、突然の核攻撃に対して米国の核の傘だけに頼るのは非常に危険だと分かる。  

 また、戦時に於ける核使用は対露、対死那であっても、必ず備えておく必要がある。世界で相互確証破壊があるのは米露間だけだ。  

 領土問題はあっても、ロシアは日本の製造業を呼び込みたくて仕方がないので、関係悪化は望んでいない。  

 死那は建前上は領土問題はないが、領土問題を国際舞台に引きずり出したくて仕方がない。それが尖閣諸島の問題だ。  

 経済的に行き詰まり、暴動が激しくなったら、日本に対して攻撃を仕掛けてこないとは限らない。その時も米国の核の傘だけを頼りにするのは良くない。しかし、お花畑にいる日本人は、憲法改正さえも真面に議論をしない。言わんや、核兵器をや、である。  

 大東亜戦争を戦う決断を、大日本帝国軍は、米国と勝負してもかてないことは分かっていた。しかし、負けてるにしても堂々と戦って負けるのであれば、また子孫が立ち直ってくれるであろうと期待して戦った。その結果、多数の尊い生命が失われ、焦土と化した。  

 そして今また、日本は存亡の危にある。一刻も早く日本人が目覚めて、憲法改正と核武装の議論を徹底しなければならぬ。

孤独な自獄論者

何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり

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