国家政策を実施するにあたってもっとも大切なことは、ある特定の国々に対して大使永久的な根深い反感をいだき、他の国々に対しては熱烈な愛着を感ずるようなことがあってはならないということである。そして、そのかわりに、すべての国に対して公正かつ友好的な感情を持つことが、なによりも重要である。他国に対して、常習的に行悪の感情を抱く国は、多少なりとも既にその相手国の奴隷となっているのである。
ジョージ・ワシントンの「訣別の辞」から
1941年7月26日、ルーズベルトは日本にた大して経済的な制裁を加えたが、この制裁は、日中事変の勃発当初で有ったら中国を助けたかも知れなかったが、1941年7月では、もはや中国にとって何の利益にもならなかった。いまや、こうした制裁は、中国を援助する溜ではなく、日本を戦争に挑発するためであり、イギリスの勢力を維持するために、どうしたらアメリカを参戦させられるかという、ルーズベルトのジレンマをかいけつするために使用されていた。
「ウェデマイヤー回想録を読む」 藤井嚴喜からの抜粋
ルーズベルトの死那好き、ソ連への寛容な態度、日本嫌い、さらにはチャーチルの日本嫌いとイギリスを助けたいと言う考え等が絡み合って、ルースベルトは自国民を騙してまでも、日本を戦争に追い込んだ。
終戦後もクリントンの死那好き日本嫌い、キッシンジャーの死那好き、日本嫌い等々、米国の政治家はワシントンの遺訓をすっかり忘れたようだ。クリントンやキッシンジャーが活躍していた当時、日本派経済的脅威ではあったかも知れないが、安全保障の問題では米国を頼り切っていて、何ら脅威ではなかったはずだが、それでもこの二人は徹底して日本を嫌った。
しかし、時は流れ、米国も遅まきながら、死那の安全保障状の問題と経済的脅威の二つの問題に正面から向き合わざるを得なくなった。死那が世界的にのし上がると宣言したからである。
是には欧州も敏感に反応していて、彼のドイツさえも死那とは微妙に距離を置くようになった。
「韜光養晦」路線を捨てた死那はもう危険で毒を持った怪物になったという認識が漸く先進諸国で出来上がりつつある。
南シナ海で我が物顔で領土を主張する死那に連合軍で鉄槌を下す日が来るのはそう遠くないような気がする。
鉄槌
孤独な自獄論者
何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり
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