与えるということ


 山上の垂訓というのがある。新約聖書マタイの福音書第5章から第7章までであるが、イエスが山の上で弟子と群衆に向かって説いた説教の一つである。マタイの福音書7章7節には「求めよ、さらば与えられん」という言葉がある。現在の訳では、「求めなさい。そうすれば、与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」となっている。

 ラテン語の諺の一つに、”Date et dabitur vobis.”というのがある。「ダテ・エト・ダビトゥル・ウォービース」と読むが、その意味は「与えよ、さらば与えられん」である。

 私個人としては、後者のラテン語の諺に軍配を上げる。何故なら、「求める」という行為の結果が必ずしも与えられるということにはならないからだ。

 神との契約によれば、求めれば与えられるのだろうけれど、人間と人間の間では、この因果関係は必ずしもそうではないからだ。

 人間と人間の間では、むしろ「与えよ、さらば与えられん」ということになるだろう。何故なら、人間はいつでも自分が可愛いのだ。可愛くして仕方が自分に対して、何かを与えてくれる人がいるとすれば、それは喜びである。だから、自然に与えてくれた人に対しても何かを与えたいと思うだろう。所謂、恩返しである。恩返しというのは世界のどんな人でも普通に持ち合わせる心情である。

 話は変わるが、ユダヤには古くから『ゴールデン・ブック』というものがある。ゴールデン・ブックには同族(ユダヤ人)の出身で世界的に傑出した人物の名を代々登録され、その功績を永遠に顕彰する。

 普通はユダヤ人しか登録されないらしいが、なんと日本人の名前もそこに書かれているのだ。安江仙弘陸軍大佐、樋口季一郎陸軍中将、小辻節三博士、内田康哉外務大臣、手島郁郎、古崎博の6名である。

 だが、私達は犬塚惟重海軍大佐のことも忘れてはならない。犬塚大佐にもユダヤ人保護工作への感謝から、ユダヤ人の恩人としてゴールデン・ブックに記載したいという申し出があったが、犬塚大佐はこう言った。

「私は陛下の大御心を体して尽くしているのだから、しいて名前を載せたければ陛下の御名を書くように」と。

 ユダヤ人というと、強欲で神儲けのことしか考えてない人たちを私は思い浮かべるのだが、やはり自分達を大切に丁重に扱ってくれた人たちには、恩義を感じ、それを顕彰するのである。この地上で、恩を仇で返すのは死那人と超賤人くらいのものだろう。

 閑話休題

 やはり、自分のことを大切にして貰いたければ、まずは相手を大切に扱うことだ。古い諺にも「情けは人のためならず」とある。さらに、与えた恩恵に対する見返りを期待するのは卑しいことである。与えた恩恵は忘れて、与えて貰った恩恵は忘れてはならない。それが一段とあなたの人格を立派にする。

 「与えよ、さらば与えたえられん」というのはほぼ普遍的に使える原則ではあるが、地上には、恩を仇で返すという例外的ことをする民族、国家もあるということだけは覚えておいた方が身のためである。

孤独な自獄論者

何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり

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