文明の生態史観

 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12366971536.html

引用ここから

 「文明の生態史観」とは、施光恒先生にご紹介頂いた、日本の生態学者、民族学者、情報学者、未来学者である梅棹忠夫(~2010年)の「文明の見方」になります。個人的には、梅棹の史観は「地政学」であると考えています。

 ユーラシアの文明を、第一地域(日本、西欧)と第二地域(中華帝国、インド帝国、ロシア帝国、イスラム帝国)に分ける。

 第一地域の特徴は「封建制」を経験していること。第二地域の特徴は「皇帝絶対主義」であること。

 封建制とは、「旧態依然とした古い体制」という印象になってしまいますが、実は議会制民主主義や資本主義の「萌芽」なのです。権力が分散し、君主から「封じられた」諸侯は、自らの地域を発展させるために努力し、投資が蓄積される。

 やがて、諸侯たちは君主(例:国王)に反発するようになり、まずは諸侯が議員となった「議会」が生まれ、最後には「議会制民主主義」となる。

 それに対し、皇帝絶対主義の第二地域は、民族、言語、宗教が多種多様で、皇帝の絶対権力をもってしなければ、支配がままならない。

 全ては皇帝に帰属し、皇帝の下で官僚が権力をふるう。法治主義ではなく、人治主義で、皇帝とつながる「誰か」と結びつく形の「政治」により、一部の人々が巨万の富を得る。(要するに、今の中国ですね)

 最近でいえば、「終身国家主席」すなわち皇帝を目指す「中華帝国」の習近平。西側メディアの「期待」を裏切り、76%の得票率で圧勝した「皇帝」プーチン。さらには、大統領の権限を強化し、事実上、エルドアン大統領の「独裁」を実現する憲法改正について、国民投票で賛成が上回ったトルコ(旧イスラム帝国)。

 昨今の世界は、まさに梅棹忠夫の「文明の生態史観」が描いた世界に「先祖返り」しつつあるように思えます。

 ところで、第二地域の「帝国」は、人民と領土を求める拡張主義が基本ですが、直接支配下に置けない地域については「属国」「衛星国」と化します。属国や衛星国は、当然ながら宗主国である帝国の影響を受け、統治スタイルが似通ってきます。

 よりシンプルに書くと、封建制度を経験することはありません。結果、属国や宗主国は、第一地域ではなく、第二地域的な権力構造あるいは権力闘争が続きます。

 東アジアでいえば、もちろん朝鮮半島です。

 北朝鮮は、未だに李氏朝鮮ばりの「金王朝」による支配が続いていますが、韓国にしても「歴史」の影響を大きく受けているわけです。

中略

 韓国の大統領選挙は、日本のように「国民の代表として行政の責任者を決める」のではなく、皇帝選挙なのです。ひとたび絶対権力者たる皇帝とならば、任期(五年間)中は絶対権力を握り、家族や縁戚までもが栄華を楽しむ。

 とはいえ、韓国大統領は再任が禁じられています。大統領の座を追われ、同じ党の候補が次期大統領に就いた(李⇒朴のパターン)ならばともかく、異なる党の大統領が誕生すると、露骨に「報復」される。

 韓国にとって、大統領選挙とは「易姓革命」なのです。

 第二地域の「中華帝国」において、易姓革命で皇帝が交代すると、前の王朝の関係者は元皇帝含めて皆殺しにされます。

 中華帝国の属国としての歴史が長い韓国は、現代においても五年ごと(あるいは十年ごと)に易姓革命の真似事のような「粛清」を繰り返しているわけです。

 韓国に限らず、中国、ロシア、「親日」であるトルコですら、我が国とは違う。善悪の問題ではなく、ただ違う。

 この「歴史的な事実」の根底を理解する上でも、現代の日本人にとって梅棹の「文明の生態史観」の再評価が必要だと思うのです。

引用ここまで

スキタイ、匈奴、突厥、フン族、契丹、タタル、モンゴル等々、騎馬民族は乾燥したステップ地帯から生まれた。

これらの騎馬民族は収奪と殺戮の連続である。

悪魔みたいに強くて恐ろしい連中ばかりだ。

第二地帯からは善良な民族は出てこないと考えて良い。

その意味では今後も南超賤は先祖返りを続けるだろうと予測できる。

南北超賤とは永遠にさようならを言わなければならない。








孤独な自獄論者

何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり

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