私達日本人は、幼い頃から「お天道様が見ているよ」と教えられる。
これは、自分以外誰もいないところであっても、悪いことをすればお天道様が全部見ていなさるので、悪いことをしてはいけないという意味である。
死那にも似たような言葉がある。
「天知る地知る我知る人知る」
後漢に楊震(ようしん)という政治家がいまた。
彼はとても思慮深く、潔癖な人だったようだ。
ある時、楊震のおかげで昇進した王密という人が、夜に楊震のもとを訪ねた。
王密は楊震にお礼を述べ、賄賂を渡そうとした。
そこで楊震はこう言います。
「あなたは私のことをよく知っているはずですね。それなのにこれはどういうことですか」と。
王密が「夜ですし、このことは誰も知りません」と応え、なおも贈り物を差し出そうとした時に、楊震が言い放った。
「天知る地知る我知る人知る」と。
天は知っているし、地も知っている。私も知っているし、あなたも知っている。どうして誰も知らないと言えるだろうか、いや言えはしない」ということだ。
王密は自分のしようとしたことを恥じ、そのまま退出した。
しかし、このような言葉が残っているからと言って、死那人がみんな潔白であるなどと思うのははやとちりである。
死那人官僚は汚職の歴史に彩られていて、清廉潔白な人間は少ない。
だからこそ、この言葉が記録されたとも言えるのではないか。
超賤人も同様に、他人が見ていても悪いことをしても恥じない。
死那人も超賤人も「お天道様」のことなど歯牙にも掛けないのだろう。
超賤人はチョウセンヒトモドキとでも言うべき存在であり、とても人類には分類できない。
一日も早く、南超賤とはお別れをしたい。
もうすぐ米韓首脳会談が始まる。
その結果がどうなるかが楽しみだ。
できれば、文在寅が北超賤に固執し、米国との同盟解消に至ってくれれば最高なのだが。
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