非理法権天(ひりほうけんてん)は、近世日本の法観念を表している。伊勢貞丈の『貞丈家訓』には、「無理(非)は道理(理)に劣位し、道理は法式(法)に劣位し、法式は権威(権)に劣位し、権威は天道(天)に劣位する」と、非理法権天の意味が端的に述べられている。
非とは道理の通らぬことを指し、理とは人々がおよそ是認する道義的規範を指し、法とは明文化された法令を指し、権とは権力者の威光を指し、天とは全てに超越する「抽象的な天」の意思を指す。
中世日本では、最重視されたのが「道理」であり、「法」は道理を体現したもの、すなわち道理=法と一体の者として認識されていたと言う。
権力者は当然、道理=法に拘束されるべき対象であり、道理=法は権力者が任意に制定しうるものではなかったのである。ところが、江戸時代になると、権力者が優越するという観念が発生した。なお、楠木正成の菊水旗説は、江戸時代に作られた伝説らしいので、無関係だ。
さて、現代の普通の社会では非理法である。非理は理には勝てない。道理は法に勝てない。権力者といえども法には従うのが当然である。
天というのを宗教と捉えると、天が最上位に位置する社会もあるが、非理法権天というときの「天」は宗教というのと少し違う。天然自然の法則とでも言うべきものなのだろうか。
非理とは、理屈が通らないことであるが、これが最上位に位置する愚劣窮まりない国・民族がある。それは言うまでもなく隣の国である。
国際公約の意味さえも理解せず、朴槿惠と安倍内閣の間の約束なので、次の内閣では破棄できる、などとまるで理屈の通らないことをやらかして、平然としている。
選挙で選ばれた内閣が交代するのを、易姓革命や王朝交代と同一のレベルで考えている。
非理の塊でしかない「国民感情」とやらが最上位なのだから、国家運営などできるはずもない。
こんな愚劣窮まりない国家・民族は国際社会から爪弾きにされるだけだ。
いつもは日本にだけ「仲よくしろよ」と言い続けてきた米国も、流石に今回は隣国に対して「仲よくしろ」と、バイデン副大統領が言ったということは、米の「韓国疲れ」というだけではない。この重さを理解出来ないようでは、本当に米国の堪忍袋の緒が切れる。
それにしても、米国の政権が民主党から共和党に変わるのは喜ばし良いことだ。民主党だったら、またもや一方的に日本が不利な立場に立たされかねなかった。
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