https://shinjukuacc.com/20210810-01/
引用ここから
東京五輪は「日本精神」そのもの
東京五輪といえば、コロナ禍の影響で1年遅れて開催され、選手村も隔離され、インバウンド観戦客の受入も行われず、試合も無観客で実施されるという、異例ずくめの大会となりました。
ただ、『フェアプレイと笑顔の握手こそ日本の「国の在り方」だ』でも述べたとおり、結論的にいえば、この東京五輪大会は大成功だったと思います。
その最たる理由は、目立った違反などもなく、「ボクシング会場で主催者側が判定に抗議して会場のライトを落とす」だのといった不祥事も見当たらなかったからです。
そもそもオリンピック・パラリンピック自体が「平和の祭典」と呼ばれている理由は、近代五輪創始者のピエール・ド・クーベルタンの理念を受け継ぎ、単なる「スポーツの祭典」ではなく、「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことを目標に掲げてきたからです。
五輪では「勝敗(メダルの数)」だけではなく、「ルールを遵守し正々堂々と全力を尽くす」という「フェアプレーの精神」が重視され、このフェアプレーの精神を具現化したものが、勝者も敗者も試合終了後は「ノーサイド」として、お互いの健闘を称え合うという態度でしょう。
その意味では、コロナ禍という困難のなか、東京五輪はまさに五輪の精神に立ち返り、フェアプレーとノーサイド、そして平和の祭典を具現化した、大変に素晴らしい大会だったのではないかと思います。
中略
ANOC総会がソウルから「取り上げられた」?
ところが、「韓国と五輪」の話題に関しては、少し気になる「続き」がありました。
大韓体育会、ANOC総会をアテネに奪われる【※韓国語】
―――2021.07.29 17:51付 SBSニュースより
韓国の放送局「SBS」が先月29日に配信した記事によれば、今年10月下旬に韓国・ソウルで開かれるはずだった「ANOC(※)」の開催地が、急遽、ギリシャの首都・アテネに変更されたとしています(※ANOC:各国のNOC=国内五輪委員会=の連合体)。
この決定自体、ANOCが7月28日に東京で開いた執行委員会で最終決定されたもので、SBSは「206ヵ国のNOC代表団とIOC委員長・委員ら1千人が集まる、スポーツ外交で非常に大きな意味を持つイベント」、などとしています。
これについて、大韓体育会の関係者は次のように説明したのだそうです。
「各国の代表団がソウルを訪問する場合、韓国政府の規定に基づいて6時間隔離が避けられないうえ、デルタの変化まで拡散した状況であり、ANOC執行委員がこのような点を理由に開催地変更を通知した」。
中略
しかし、この東京五輪大会は、韓国側の理不尽な難癖に対し、日本はときとして毅然と反論し(旭日旗問題など)、ときとして黙殺し(竹島日本地図問題など)、さらには国際社会(IOCなど)を巻き込んで問題を国際化する、といった対応が目立ちました。
その結果、韓国が日本に対して仕掛けていた「ゼロ対100理論」に基づく不法行為の考え方が、破綻し始めたのではないでしょうか。
いずれにせよ、ANOC総会開催地の地位が韓国から取り上げられたという「実損害」は、韓国に対し、これまでの不法行為のコストを支払わせるという意味ではまったく不十分ではありますが、端緒としては非常に興味深いと思います。
東京五輪の事例も、「韓国の不法行為には一歩も譲らず、それどころか国際社会を巻き込み、国際的なルールに基づいて対処する」のが正解だ、という意味では、今後の日本にとっては重要な指針ができたのではないかと思う次第です。
引用ここまで
南超賤は、一度徹底的に痛めつけてやらないといけない。
ぐうの音も出ないくらいに痛めつけてやることがこそが、彼らの学習に繋がる。
肉体的にあるいは精神的に痛めつけられれば、それ以上の犯行はしない。
それが超賤人の精神の根底にある。
日本人は優しすぎるのだ。
南超賤との関わりがなくても今の日本は困らないが、それをもっと徹底的に推し進める必要がある。
現在の管政権は、徹底的に無視を続けている。
しかし、纏わり付いてくる南超賤を無視するだけでは、不十分だろう。
絡もうにも絡めない状況を作るのが一番だ。
そういう意味では、文在寅が東京五輪に来たがっている事を利用し、来るならそれ相応の対応はするが、時間は短いと連呼し続けるような手法が良かった。
今後も同様のやりかたでいいだろう。
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