価値観の問題

https://shinjukuacc.com/20210924-01/

引用ここから

そして、①のパターンは、日本政府の表現でいえば、次のような具合です。

「XX国はわが国と自由、民主主義、法の支配、人権尊重などの基本的価値に加え、戦略的利益を共有する、わが国にとっては大事な友人であるとともにパートナーである。」

じつは、この表現、最近の外交青書には頻繁に出て来るものでもあります。たとえば、『令和3年版外交青書』を読むと、次のように記載されています。

「台湾は、日本にとって、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値を共有し、緊密な経済関係と人的往来を有する極めて重要なパートナーであり、大切な友人である」(同P55)。

「日本とインドは、民主主義や法の支配などの基本的価値や戦略的利益を共有するアジアの二大民主主義国であり、『日印特別戦略的グローバル・パートナーシップ』の下、経済、安全保障、人的交流など、幅広い協力を深化させてきた」(同P64)。

「基本的価値と戦略的利益を共有する日本とオーストラリアの『特別な戦略的パートナーシップ』の重要性はこれまで以上に高まっている」(同P67)。

「日本とニュージーランドは、民主主義、市場経済などの基本的価値を共有し、長年良好な関係を維持している」(同P70)。

「日本は、基本的価値を共有するグループとして、太平洋同盟との連携を重視している」(同P92)。

つまり、基本的な価値を共有している相手とは、良好な関係を築くうえでの前提条件が整っている、という意味です。

中略

言い換えれば、日本にとって中国、ロシア、韓国はいずれも重要な相手国ではあるものの、日本と「基本的な価値は共有していない相手国」、というわけです(※ちなみに、かつて日本は韓国についても「基本的な価値と利益を共有する、日本にとって最も重要な隣国」とみなしていました)。

基本的価値を共有しない相手との付き合いは疲れる

ではなぜ、「基本的価値の共有」が重要なのでしょうか。

とても当たり前の話ですが、相手国がわが国と、この「基本的価値」を共有しているかどうかによって、その国と付き合うのに必要となるエネルギーが、まったく異なるからです。

たとえば、実力者に賄賂を贈らなければビジネスが円滑に進まない国もあるようですし、訴訟を起こされた際、訴訟に勝ちたければその裁判の裁判官を接待しなければならない、などの国もあるそうですが、そんな国でビジネスを進めること自体、気苦労も絶えません。

これに対し、契約書に書かれたこと、法律に定められたことがそのまま実現するという、ある意味ではクリーンで透明な国もありますが、そのような国でビジネスをする場合、予見可能性も非常に高いため、リーガルコストも非常に低く抑えることができます。

そして、基本的価値を共有していれば、何らかの事情で相手国との関係がギクシャクしたとしても、ちょっとしたきっかけがあれば、また元通り修好関係を回復することが容易です。

人間関係も利害だけで結びついていた場合は非常に脆弱ですが、「人間的な親しみ」で結びついていた場合には、その後もさまざまな局面でそうした人間関係が役に立ちます(実際、「しっかりとした人間関係」は、著者自身も起業したあとで大変に役に立ちました)。

だからこそ、国づくりというものは、次の2点が基本であるべきなのです。

できるだけ多くの国から共感が得られるような価値を大切にする国になる

全世界に自国の味方を増やす

中略

もちろん、相手国との良好な関係を築き上げるためには、基本的価値を共有しているだけではダメで、相手国と戦略的な利益を共有している、相手国と信頼関係を築き上げている、といった要因も必要でしょう。

このことから、中露朝韓4ヵ国との外交がうまく行っていない理由は、次の2点ではないかと思われます。

①相手国が日本と基本的価値を共有していないから。

②日本が「相手国が日本との基本蹴貴価値を共有していない」ことを正確に認識してこなかったから。

逆に、中露朝韓4ヵ国は日本に「地理的に近い」だけの国であって、基本的価値をまったく共有していないという前提に立ち、十分に警戒して外交にあたるようにすべきなのです。

中略

台湾が日本と基本的価値を共有していることは間違いありません。

そして、ここでいう基本的価値は、自由、民主主義、法の支配、人権といった表面的な部分だけでなく、「ちゃんと約束を守る」、「こちらの支援をちゃんと覚えている義理堅さ」、人々の考え方や態度など、非常に広い範囲のものも含まれます。

実際、台湾に旅行をすれば、台湾の人々の温かさに触れ、台湾のことが大好きになってしまった、などの話をよく聞きます(個人的にも台湾で人々に親切にされたことが何度もあります)。

引用ここまで

何度でも言いたい。

中露韓朝は、梅棹忠夫の「文明の生態史観」で述べられた、第二地域に属する。

日本は第一地域に属する。

梅棹氏は旧世界のこの2つの地域のうち前者を「第一地域」、後者を「第二地域」と名付ける。氏の指摘によれば「旧世界を横長の長円にたとえると、第一地域は、その、東の端と西の端に、ちょっぴりくっついている。とくに、東の部分はちいさいようだ。第二地域は、長円の、あとのすべての部分をしめる。第一地域の特徴は、その生活様式が高度の近代文明であることであり、第二地域の特徴は、そうでないことである」。そして梅沢氏は次のように自問する。

「第一地域では、動乱をへて封建制が成立するが、第二地域では、そういうようにきちんとした社会体制の展開はなかった。第二地域のあちこちでは、いくつもの巨大な帝国が、できてはこわれ、こわれてはまたできた。東と西にとおくはなれたふたつの第一地域が、もうしあわせたように、きちんと段階をふんで発展してきたのは、なぜだろうか。それをとうまえに、逆に、大陸の主体をしめる第二地域では、なぜ第一地域のような、順序よく段階をふんだ発展がなかったのか」。

文明論的な観点からみて旧世界の最も重要な特徴は、ユーラシア大陸を東北から西南に斜めに横断する巨大な乾燥地帯の存在だという。

「乾燥地帯は悪魔の巣だ。乾燥地帯のまんなかからあらわれてくる人間の集団は、どうしてあれほどはげしい破壊力をしめすことができるのであろうか。わたしは、わたしの研究者としての経歴を、遊牧民の生態というテーマではじめたのだけれども、いまだにその原因について的確なことをいうことはできない。とにかく、むかしから、なんべんでも、ものすごくむちゃくちゃな連中が、この乾燥地帯からでてきて、文明の世界を嵐のようにふきぬけていった。そのあと、文明はしばしばいやすことのむつかしい打撃をうける」。すなわち「第二地域の歴史は、だいたいにおいて破壊と征服の歴史である。王朝は、暴力を有効に排除しえたときだけ、うまくさかえる。その場合も、いつおそいかかってくるかもしれないあたらしい暴力に対して、いつも身がまえていなければならない。それはおびただしい生産力の浪費ではなかったか。たいへん単純化してしまったようだが、第二地域の特殊性は、けっきょくこれだとおもう。建設と破壊のたえざるくりかえし、そこでは、一時はりっぱな社会をつくることができても、その内部矛盾がたかまってあたらしい革命的展開にいたるまでは成熟することができない。もともと、そういう条件の土地なのだった」。

「つまり第一地域というところは、まんまと第二地域からの攻撃と破壊をまぬかれた温室みたいなところだ。その社会は、そのなかの箱入りだ。条件のよいところで、ぬくぬくそだって、何回か脱皮をして、今日にいたった、というのがわたしのかんがえである」。 この見方を「文明の生態史観」というのは、生態学の用語法で文明史を観察し記述したということである。「遷移」と訳されるサクセッションは、ある特定の場所に生まれた植物群落が長期間をかけて、その場所の気候条件などに適応しつつ、次第に別の群落に変化していくことを指す。新しい群落としてこれが定着した状態が「極相」(クライマックス)である。

すなわち「第一地域というのはちゃんとサクセッションが順序よく進行した地域である。そういうところでは、歴史は、主として、共同体の内部からの力による展開として理解することができる。いわゆるオートジェニック(自成的)なサクセッションである。それに対して、第二地域では、歴史はむしろ共同体外部からの力によってうごかされることがおおい。サクセッションといえば、それはアロジェニック(他成的)なサクセッションである」。

さて、ここで騎馬民族の例を見てみよう。

騎馬民族の例

インド・ヨーロッパ系民族 - クルガン文化を担い、東欧・ウクライナ草原が原郷。

スキタイ - 紀元前8世紀~紀元前3世紀頃に繁栄

月氏

烏孫

堅昆

エフタル

キンメリア

アルタイ系民族

テュルク系民族 - 紀元前5世紀~12世紀頃に繁栄

丁零

匈奴

高車

鉄勒

突厥

回鶻

フン族

アヴァール

モンゴル系民族 - 12世紀~17世紀頃に繁栄

東胡

烏桓

鮮卑

柔然

室韋

契丹

タタル部

モンゴル部

ウラル系民族

ウゴル系民族

マジャール人

シナ・チベット系民族

チベット系民族

吐蕃

党項

本当に、みんな乾燥地帯から発生した、破壊力の強い民族ばかりだ。

やはり、基本的価値観が違いすぎる。


孤独な自獄論者

何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり

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