海ゆかば


https://www.youtube.com/watch?v=KDM6OD24nhc&list=RDuGv7yjSH3Fc&index=3

若い世代へ贈る、「海道東征」と「海ゆかば」櫻井よしこ

『週刊新潮』 2017年5月4・11日合併号 日本ルネッサンス 第752回

引用ここから

「海道東征」は、日本建国の神話を交声曲で描いた名曲である。昭和15年に「皇紀2600年奉祝行事」のために書かれた。詩は北原白秋、曲は信時(のぶとき)潔である。

 

 民族生成の美しい歌でありながら、昭和20年の敗戦で、軍国主義などに結びつけられて長年葬り去られていた。作品は、戦後全くと言ってよい程、世に出ることがなかったのであるから、私もそうだが、声を掛けた70年代、80年代生まれの若い人たちが「海道東征」について知らないのも当然である。

 なんといっても、米軍の占領が終わって独立を回復してから、日本では、社会でも学校でも家庭でも、わが国の歴史や神話、民族の成り立ちなど、ほとんど教えてこなかったのだから。

中略

 

 最後にアンコール曲として「海ゆかば」が演奏された。大伴家持の詩に信時が曲をつけた。多くの人が立ち上がり、合唱した。私の隣りの方は朗々と歌った。

中略

 山折哲雄氏が『「海ゆかば」の昭和』(イプシロン出版企画)で「屍とは何か」と題して書いている。

 

 掻い摘まんで言えば、万葉集の挽歌でわかるように、死者の屍とは「たんなる魂の抜け殻」だというのだ。人はひとたび死ねば、その魂は亡骸から離脱し、山の頂や海の彼方、空行く魂となって、この国の行方を静かに見守ってくれる。あとに残された屍には何の執着も見せない。それがかつての日本人の、人の最期をみとるときの愛情であり、たしなみであった、と。

 

中略

 

 私の友人でもあった松本健一氏は、同書で、演出家で作家の久世光彦氏の文章を紹介している。

「『海ゆかば』を目をつむって聴いてみるといい。これを聴いていったい誰が好戦的な気持ちになるだろう。・・・私は『海ゆかば』の彼方に日本の山河を見る。・・・美しい私たちの山河を護るために、死んでいった従兄たちの面影を見る」

 

松本氏も、久世氏も、亡くなってしまった。けれど、彼らの言葉はどれもみんな、私の心に沁みる。コンサートホール一杯に広がった「海ゆかば」の合唱に、静かに感動した。

引用ここまで

「海ゆかば」は私も大好きで、頻繁に聞く。中でも、伊藤久男の歌声は最高だ。下のリンクから堪能してください。

 私も、この曲を聴く度に、有史以来この日本列島内外で起きた数多の戦で散っていった大和民族の戦士達に思いを馳せる。なにも大東亜戦争のみではない。 

 二度に亘る元寇の闘いでは、神風が吹いたと言われていたが、そのようなことはないと最近では言われている。

 自立した日本の武士は、指揮官がいなくても戦える。だから、夜襲をかけて、敵の船に飛び込みそれぞれに戦ったので、 相手は多数の死者を出した。その結果、敗れ去ったと言うことらしい。青山繁晴さんが、そのようなことを話していた。遠い昔のことだから、立証するのは難しいけれど、そのように解釈する方が自然ではある。 

 

 それにしても、有史以来不運にも戦死した御先祖様、幸運にも生き残った御先祖様に感謝の念を捧げるのみだ。戦った御先祖様がいるから、私達は日本人として生き残ることができた。

 それにしても、この曲の美しさはどうだろう。ある人は、賛美歌のようだと言ったが、私は「鎮魂歌」と呼びたい。それぐらい美しく切ない。

https://www.youtube.com/watch?v=KDM6OD24nhc&index=3&list=RDuGv7yjSH3Fc

 さて、「海道東征」だが、Youtubeでは戦前の音源しかない。

 こちらのサイトでは演奏そのものよりも、解説を楽しめるのでお勧めである。

 http://www.geocities.jp/kaidoukita/

 櫻井よしこさんは、あのお年になっても凜としていらっしゃる。知識も豊富で弁も立つ。このような人がいるのは心強い。何時までも現役で活躍してもらいたい。

孤独な自獄論者

何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり

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