引用ここから
昭和41年に「ASEANセンター」を設立した中島慎三郎さんは、大東亜戦争でシナ大陸からマレー、ニューギニア、インドネシアを転戦して、上等兵として終戦した。
そして、昭和54年のこと。自民党のある大物議員がインドネシアを訪問した時に案内したのが中島さんだ。この自民党のK議員はインドネシアの政治家を前にしてこのように言った。
「先の大戦において我が国は貴国を占領して被害をもたらし、ご迷惑をおかけしたことを心からお詫び致します」。
中島さんはこれをそのまま通訳したらインドネシア人から笑われると思った。
なぜなら、この時インドネシアの政治家達は戦争中に日本軍によって訓練や教育を受けたペタ(祖国防衛義勇軍)の方達で、戦後のインドネシア独立戦争を戦い、勝利した時の勇者達であるからだ。
彼らは戦後、インドネシアに残ってともに独立戦争を戦ってくれた日本兵達が2000人もいて、その半数が戦死したが、日本人がインドネシアの独立に貢献したことには心から感謝していたのだ。
結局、中島さんはこのように通訳した。
「過ぐる大戦において我が国は敗れてしまい、貴国の期待に応えることが出来ず申し訳ありません。心からお詫び致します」。
しかし、ここにいたインドネシアの政治家達は戦時中に日本兵から日本語を教わり、知っていた。
日本語のわかる彼らは笑って「ナカジマは苦労するね」と中島さんの肩を叩いた。・・・
昭和48年4月、戦争中にインドネシアの情報将校であったムルトポ将軍に同行した中島さんは、ASEAN諸国を中心にした国際会議に出席した。
この時、最初に韓国代表がこのように言ってきた。
「日本帝国主義が三十数年間も韓国を侵略したために、韓国は防衛体制が確立できなかった。その責任は日本にある」。
するとインドネシアのムルトポ将軍は韓国代表に向かってこう言った。
「朝鮮人は自ら戦わなかったくせに責任を日本に押し付けるとは何事か。
もしアジアに日本という国がなかったと仮定してみよ。1899年の義和団事件以来、ロシアは満州に大軍を駐留させ朝鮮を狙っていた。朝鮮が戦わないから日本が戦った。これが日露戦争だ。
朝鮮は日本が敗けると思って裏ではロシアと繋がっていたではないか。もし日本が戦わなかったら朝鮮はロシア領になっていたことは間違いない。
ロシア領になっていたのは朝鮮ばかりではない。支那も北半分はロシアが支配し、揚子江以南はイギリスとフランスが支配しただろう。遅れて登場したアメリカはどうやって支那大陸に食い込むか企んでいたのだ。
そもそもアジア混迷の遠因は支那にある。支那はアヘン戦争でイギリスの不当な要求に屈して簡単に降参してしまった。その時支那はなぜ徹底して戦わなかったのか。イギリス・フランスを大陸に引き込んで蒋介石のように戦えば勝てたかもしれない。
“中華”と誇る支那が不甲斐なく敗けたから日本が大東亜戦争を戦わざるを得なくなったのではないか。この責任は支那にある。
そもそもアジアで戦ったのは日本だけではないか。もし日本という国がなかったらアジアは半永久的に欧米植民地勢力の支配下に置かれていたはずである」
真実を言われた韓国代表は何も言えなかった。・・・
引用ここまで
死那人は白人に屈した。日本は米国との国力違いを知っていて、戦っても勝てるわけがないことを知っていた。しかし、米国と戦わずに屈服するのと、戦ったて負けるのとではは大きく違う。
永野修身軍令部長の下の言葉が、当時の雰囲気をよく表している。
「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出うるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」
大東戦争開始前の独立国は数少なかった。エチオピアは疫病のため白人が入っていかなかった。タイは、インドシナを支配するフランスとマレーシアを支配する英国の対立を避けるために、一種の緩衝地帯として独立していたし、清王朝はもちろん、白人に屈服していた。
つまり、非白人で白人に屈していなかったのは、タイと日本だけだった。そして、白人と戦った。
その結果は、みんな周知の通りである。
米国はフィリピンを失った。大英帝国は多くの植民地を失った。日本は闘いには敗れたが、黄色人種が白人の支配から逃れる道筋を立派に作った。
東南アジア諸国の現地の人の中には、日本が悪かったと言う人もいるが、概ね日本のおかげで独立できたという認識を持っている。
私達が今日、日本のパスポートを持って東南アジア諸国に旅行に行くとき、「日本人はけしからん」などという現地人はほとんどいない。しかし、間違った歴史を綴る教科書もあることにはあるようだ。
なお、ベトナム人は死那人や朝鮮人と日本人を区別することができると言われている。
買い物をして品物を渡すときに、「サンキュー」というのが日本人であり、死那人や朝鮮人は、実に偉そうに「金を払ってやる」という態度であり、絶対に「サンキュー」とは言わないからだ。
大相撲の関脇高安の母親は、フィリピン人だという。それを聞いても、日本人は「ああ、そうか」と思う程度だろう。元AKBの秋元才加とも知り合いらしい。秋本のことも、別になんとも思わない。
しかし、朝鮮人ならそれを聞くと必ず軽蔑する。私達日本人は、人種については寛容だ。テレビでもハーフややクォーターが大活躍していることを見ても、それが分かる。しかし、朝鮮人だけは日本人に激しく忌み嫌われる。その原因はすべて朝鮮人側にある。こういうことは、どんどん語って良い。何が差別なものか。
https://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34742612.html
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