行ってきました


 5月30日から6日1日まで伊勢神宮参拝の旅に出かけた。数年前から行きたいと思っていたのだが、古女房の病気、手術や娘の婚約、結婚など、どうしても環境が整わなかった。

 漸くこの度はお伊勢さんに、早く来なさいよと「呼ばれた」という感じで、出かけられた。私の感覚では、まさしく「呼ばれた」のだ。

 一泊目は賢島の小さなオーベルジュだった。「オンセン・プロヴァンス」とか言う名前だった。温泉の質も良好で、夕食には伊勢エビやアワビを沢山頂いた。実は、昼食も海鮮料理だったが、海鮮ならいくらでも食べられるので、大感激だった。

 二日目は外宮、内宮の順に回った。大感激したことは、外宮でも内宮でもお参りした際に、御帷がすっとめくり上がったのだ。つまり、神様から、「ようきたな」と歓迎していただいたのである。内宮では二度も御帷がめくり上がった。これには感激したものだ。

 神社に参拝したときに、天候がいきなり変わったり、風が吹いたりするのは、神様が歓迎してくださる証であると言われている。それを迷信だと思うか、信じるかは個人の問題であり、私は素直に信じる。

「何事のおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」と詠んだ西行の気持ちが良く分かる。

 もしかすると、そこが古代の本来の伊勢神宮だったかも知れないと言われる伊雑宮にも行きたかったのだが、伊勢神宮からは車でも40分くらいかかるほど遠いと言われたので、諦めた。

 その日は鳥羽に泊まった。マリテーム海幸園という名前のホテルで、スポーツ選手が浴参拝するという「いちべ神社」というのがホテルの中にあったので、私も参拝した。私はスポーツは全く嗜まないので、日本のスポーツ選手が活躍する力をくださることに感謝の意を込めて参拝した。その日の夕食も海鮮料理が沢山出てきた。

 温泉、料理、そして神様からの歓迎と、非日常の素晴らしいことばかりの旅行であった。何よりも、伊勢神宮に、日本人として生かせていただいていることのありがたさを、感謝させて貰えたことが一番嬉しいことだった。

 私は、還暦を過ぎた頃から、神社やお寺に参拝するときには、個人の念願などを祈ることは止めた。還暦まで生きられたことが素晴らしいことなのに、それ以上何を望むのかという気持だ。だから、いつでも感謝の意のみを表明し参拝する。

 神社に足を踏み入れると、古代から連綿と続く日本人の神に対する敬意の「気」の積み重ねみたいなものを感じる。それが、荘厳な気持にさせるのだろう。それが神様のお姿なのではなかろうか。兎にも角にも、日本人以外にはこの荘厳な気持や感覚は理解できないし、感じ取れないだろう。

 つくづく日本人に生まれて良かったと思う。今日も明日も生かされていることに感謝する。

孤独な自獄論者

何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり

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