対応力


https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12322753085.html

引用ここから

 トインビーは、著作『試練に立つ文明』(1948)において、次のように指摘している。以下の記事は、私のブログ(2014年12月17日)を採録した。

「中国は、英国の歴史家アーノルド・トインビーが分析したように『狂信派』(ゼロット)に属する。異なる文明に遭遇したとき、それに挑戦せずに逃避して自らの文明に閉じこもる保守派だ。4000年の歴史を持ちながら、今なお専制政治から抜け出せない臆病の原因は、新しい文明に挑戦せずに逃げてしまうことが理由である」

「日本は、このゼロット派の対極にある『ヘロデ派』である。異文明に遭遇したとき挑戦して、そこから問題解決のヒントを得る。勇敢なタイプである。明治維新、太平洋戦争敗戦という大きな歴史的な変曲点を傷つきながら乗り越えてきた。現在は、『アベノミクス』である。世界最初の少子高齢化社会が、いかに経済的活力を取り戻すか。実験に取り組んでいる。今回の衆院選挙は、この改革断行にあたって執り行われた最後の『政治的儀式』である。この意味を理解しなければなるまい」

「中国は、『中華帝国』の殻からどうしても抜け出せない宿命を負っている。それは、『狂信派』ゆえに、民主政治への挑戦が恐怖に満ちており、一歩も踏み出せないのである。共産党政権を失うのが怖い。共産党天下が、自らの利益になるから権益を捨てたくないだけである。その点、明治維新の下級武士は偉大だった。支配階級としての既得権益を投げ捨て、日本人という民族全体に奉仕した。中国は常に汚職が付きまとい、自己利益が優先される社会である。日本が清廉であるのは、目先の利益で動かない社会構造になっているからだ。これが、ゼロット(中国)とヘロデ(日本)の根本的な相違点である」

 以上の私の分析によれば、21世紀後半に中国が米国と肩を並べる「強国」になる文明史的な基盤を欠いていることが分かるであろう。

引用ここまで

 ここで、死那と日本に関するビスマルクの言葉を紹介しよう。

「中国人は欧州へ来てもビジネスをするだけ。火器艦艇を買ってすぐ帰る。日本人は書籍を翻訳して、我が国の制度を学ぶ。中国人は見えるものしか買わない。これでは両国が戦争すれば勝敗は見えている」

「中国人は目に見えるものしか興味を示さない。このような国が戦争に勝てるわけがない」

 真に、金にしか興味がない死那人は他人に何かを学ぶという態度がない。だから、金にあかせて有名ブランドを持つ会社を買収し、商売をしようとする。知的財産権などを全く大切にしない態度は、ビスマルクの頃から何一つ変わっていない証拠だろう。

 さて、ゼロットとヘロデというのは、トインビーが「ある国の文明が有力な外部文明から挑戦を受けた際、どう対応するかを、挑戦を受けた側の対応として、古代ローマ文明に対するユダヤの対応を例にして、二つの典型として示したもの」である。

 ゼロットは、幕末に外国が要求する開国を拒否し、通商交渉に応じようとせず外国船焼き討ちなどをした攘夷派、第2次世界大戦期における外交音痴で頑迷な陸軍の、国土決戦や一億総玉砕を主張した徹底抗戦派などの行動態様にも見て取れる。

 これに対する「ヘロデ主義」とは、ユダヤ国(現イスラエル)の始祖であったヘロデ王が、大国ローマ軍の威圧的攻勢を受けたとき、これに軍事的に抵抗することがユダヤ民族絶滅の悲劇に帰結することを洞察し、外交交渉で、国を開いてローマの支配を受忍することを決意したが、その際、ローマの最高権力の下で、自分がローマの属国ユダヤの王として留まり、間接統治することを条件として認めさせたのだが、その意図が、「強大な外部文明に表立って逆らわず、その力の秘密を内側から学びとり、長期的に外部文明を消化吸収して克服すること」にあったことに由来する行動態様である。

 

 このヘロデ主義の行動態様は日本でも、戦後の国家再興方針を示した「吉田茂首相のドクトリン(政治・外交での主義や原則)」として選択・採用された。

 占領軍アメリカの支配に忍従しながらも、日本人としての矜持を保ち、その伝統的文明の長所を温存しつつも、アメリカ流のディベートを通じた自由・民衆主義、科学的合理性の事業経営、最先端技術、教育システム、身分制度の廃止など多くのことを謙虚に学びとって、その後の世界が目を見張る奇跡の早期復興と高度成長の原動力となり、結果として、世界屈指の経済大国となりえたのである。

 日本の中でも、ゼロット派になったり、ヘロデ派になったりすることはあるが、大きく分ければ死那は頑迷なまでのゼロット派であり、日本はヘロデ派であると言える。

 未だに古代中華帝国を夢見ている死那と、「護憲派」というゼロット派を内包しながらも、果敢に挑戦半島での有事に備えようとしている日本を比較すれば、死那が頑迷なまでのゼロット派であり、日本はヘロデ派であることが分かる。

 それにしても、極東の小さな島国日本は、本当に不思議な国だ。

 死那から仏教を受け容れたり、遣唐使を派遣して死那の文明・文物を吸収したりしたが、纏足、科挙、宦官などは日本民族には相応しくないとして受け容れなかった。

 そして、死那大陸の事情が良くないと思うと、死那とは距離を置いた。

 元の二度に亘る侵攻を撥ね付け、独立を保った。さらに、300年間もほぼ鎖国状態で平穏無事に暮らしてきた。

 鎖国状態から黒船の危機に目覚めると、尊皇攘夷か佐幕かで揉め倒した。明治維新を迎えるとすぐに、猛烈に西洋文明を取り入れ、白人からは西洋人に挑戦する生意気な黄色人種だと思われた。

 大東亜戦争で完膚なきまでに叩きのめされたというのに、あっという間に世界第二位のGDPを誇る国になった。

 一方の死那はどうだ。世界第二位のGDPを誇る国にはなったが、一般人には選挙権さえもなければ言論の自由もない。すべての事柄を死那狂惨党が指示し、その通りにする操り人形になるしかない。

 「能力のある人間(李克強)は権力を持てず、能力のない人間(習近平)が権力を握っている」という死那の政府高官の発言があるそうだ。能力のない権力者とは、つまりキチガイに刃物と同様である。

 小さなワンマン会社の能力のない馬鹿息子が会社を継いだら、その会社は倒産するが、影響は小さい。死那の場合は全く規模が違うから、その影響は大きい。

 

 死那が小さな国に分裂し、資本主義世界に組み込まれるようになれば、いくらか死那人の発想も変化するかも知れないが、現状では期待できない。死那の経済崩壊の日まで待つしかない。

孤独な自獄論者

何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり

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