https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/10/20171027T0651290900.html
小池百合子が希望の党代表を辞任した。この最大の原因は、希望の党が変質したことである。つまり、旧民進党系議員達に背乗りされたのだ。
小池新党の変遷ぶりは以下の通りだ。
希望の党(候補者を多数立てたい)→野望の党(ゴミが集まりそうなので、排除の理論を述べた)→非望の党(排除の理論に対する批判に耐えきれず、旧民進党系議員を多数受け容れた)→失望の党(保守系の人々は、ゴミが混ざってしまったことに失望した)→絶望の党(保守系が完全に見放した)→誹謗の党(創立に関わった若狭勝が落選し、党内勢力は旧民進党系議員が多数になった)→死亡の党(あまりの屑集団に国民は見放した)
小池が新年の政治家であれば、「排除」の理論を貫くべきだった。しかし、小池は所詮ポピュリズム政治家でしかなかったため、批判に耐えきれずに、旧民進党系議員を受け容れた。
このため、選挙開始直後から堂々と改憲に反対する候補者も現れてしまった。
ゴミはゴミにすぎないのに、ゴミを入れてしまったのは小池自身の大きな間違いである。
このゴミはゴミに過ぎないという態度は、何処まで貫く必要がある。
人生に於いては、有益な人を受け容れ、有害な人は排除すべきである。有害だと分かっているのに何時までも付き合ったら、碌な眼に遭わないことは明らかだ。
排除の理論は生きている人間だけに限定されずに、死んだ人が残したものも含む。人間の活動は膨大かつ多岐に亘るから、それが何かを一口で言うこと難しいが、たとえば宗教などもそれに含まれる。
ゴミは所詮ゴミでしかない。以前も述べたが排除の理論は間違いではない。みんなにいい顔をしようと思うからちょつとした批判にも耐えられなくなる。自分の信念が確固たるものであれば、堂々と排除の理論を展開すればよい。
0コメント