亢龍悔あり。


https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12382214205.html  

引用ここから 

『中央日報』(6月1日付)は、「米軍は西太平洋で小さな島々を撃破した経験が豊富にあるー米国防総省高官」と題する記事を掲載した。

 (4)「ケネス・マッケンジー統合参謀本部長は5月31日(現地時間)の記者会見で、中国の人工島を『吹き飛ばす」』能力について記者から質問され、『米軍は西太平洋で小さな島々を撃破した経験が豊富にある』と答えた。続いて、『第2次世界大戦中に、西太平洋の孤立した小さな島々を撃破した経験が豊富にある。それは米軍の中核的能力だ』とし、『我々は中国と協力できる部分では協力するが、この地域で米国と同盟国の利益も守る用意がある』と述べた。マッケンジー氏はまた『国際法で認められた航行の自由作戦を今後も継続していく』とし、『我々が進めていることを今後も続けていく』と述べた」  

 私にとって、この種の発言を耳にするのは二度目である。島嶼埋め立てが、地盤的に極めて軟弱であるという意味なのだろう。中国は、こういう軟弱地盤に基地をつくっても、米海軍との紛争になれば、たちまちにして文字通りの「藻屑」(もくず)になる運命だ。こういう、紛争の種になるものをなぜ、建設して喜んでいるのだろうか。 

中略

 『レコードチャイナ』(6月5日付)は、「英仏合同で南シナ海に艦船航行、中国専門家は明らかな挑発行為」と題する記事を掲載した。

 ① 「2018年6月5日、英国とフランスの艦船が近く、中国が主権を主張する南シナ海の海域で「航行の自由」作戦を遂行すると報じられたことを受け、中国紙・環球時報は、「(中国に対する)明らかな挑発行為」だとする中国の専門家の話を紹介し批判的に伝えた。記事は、香港英字紙『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』の報道を引用し、フランスのパルリ国防相が3日、シンガポールでのアジア安全保障会議で、フランスと英国の艦船が来週、南シナ海の海域で合同で「航行の自由」作戦を遂行すると表明したことを伝えた」 

 ② 「英紙『デイリー・テレグラフ』の報道を引用し、英国のウィリアムソン国防相も3日、同会議で、『英国は今年、アジア太平洋地域に軍艦3隻を派遣する』と述べたことを紹介した。『サウスチャイナ・モーニング・ポスト』によると、中国代表として同会議に出席した中国人民解放軍シンクタンク、軍事科学院の何雷(ホー・レイ)副院長は、英仏が合同で南シナ海に艦船を航行させると表明したことについて、『南シナ海は自由であり、すべての艦船の航行に開かれている。正常な航行の自由活動はいかなる制限も受けることはない』とした一方で、『中国への主権侵害は許されない』と述べた。中国代表団の周波(ジョウ・ボー)大佐も『問題は英仏が中国の島の12カイリ(約22キロ)内に入るかどうかだ。もし入るなら、それは意図的な挑発行為だ』との認識を示した」  

 上記の記事によれば、英仏両海軍が南シナ海へ艦船を派遣して「自由航行作戦」に参加する。米海軍の艦船は12カイリ以内を航行して、中国の主権を否定している。英仏の艦船も同様な行動に出ることが予想されるのだ。となると、中国海軍はどう対応するのか。実力行使で阻止するのか。それは、まかり間違えると「一触即発」の事態へ発展する。米海軍も応戦するだろうから、中国は一挙に世界の孤児に転落する。  

 黙認すれば、中国の脅しは「この程度か」と見くびられる。実力行使すれが、国際紛争に拡大する。中国にとっては、どちらもリスクの大きい道だ。悪いことは言わないから、「日本の満州侵略」の二の舞を避け、南シナ海から撤収することだ。それは、習氏の威厳に致命的な傷を残すはずだ。習氏の「終身国家主席」は白紙になろう。南シナ海の軍事基地化を指揮したのは習氏である。責任回避は不可能である。 

中略

  米議会は、超党派で「アジア再保証イニシアチブ法案(ARIA)」によって、同盟国(日・豪・韓)の結束を固めて、中国へ対抗する姿勢を後押しする方針だ。これにより、インドや台湾と軍事的・経済的な関係強化を打ち出している。この動きは重要だ。中国は、アジアでここまで標的になっている現実を認識することである。中国が、「ニーハオ」と大急ぎで愛想笑いを浮かべて日本へ接近した裏に、この切羽詰まったアジア情勢の急変がある。中国は危機的状態に向かっている。

引用ここまで  

 安倍内閣が打ち出したダイヤモンド・セキュリティ構想がここで活きてくる。日米豪印の四ヶ国で死那を包囲し、さらにここに英仏が航行の自由作戦を展開する。九段線などという身勝手な主張を引っ込める姿勢に転換するか、さもなければこれらの国々を相手に一対多数の闘いにまで展開してしまうという運命の岐路に立っていることを死那は自覚しなければならない。  

 死那に追随するのは、「金の切れ目が縁の切れ目」にならない国だけだが、超賤と同様に世界中から嫌われている死那にはそういう国はない。  

 古代の支那から伝わった『易経』の最初の項目は「乾為天」である。そこには、こうある。 「亢龍(こうりゅう)悔(くい)あり。」  

 亢龍とは、上り詰めておごり高ぶる龍のことである。驕り高ぶり、周囲の忠告を聞かなくなっては正邪の区別さえつかなくなり、自省心もなければ変化のための努力さえも怠るようになる。そして、地に落ちる降り龍になるしかなくなる。  

 今の死那の状態はまさしくこの亢龍である。

孤独な自獄論者

何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり

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