幸せになれない民族・国民

私は断言する。

死那人と超賤人は永遠に幸せになれない。

理由

その1 死那人は中華思想に取り憑かれているし、超賤人は小中華思想に取り憑かれている。

中華思想・小中華思想は、自分達は優秀で間違っていないが、周辺の民族・国は自分達より劣っていると、頭から信じ込んでいる。そのため、自分達はどこでどう間違ったのかという反省が絶対に生まれないのだ。つまり、死那人は中華思想を捨てない限り幸せになれない。超賤人も同様小中華思想を捨てられない限り、幸せとはほど遠い。幸せとは、自分の間違いを修正し、修正した結果において、良かったと感じられるものだからだ。反省無きところには幸せはない。

その2 死那人も超賤人も儒教特に朱子学の悪い影響から抜けられない。つまり、上下関係でしかものを見られないのだ。そのような視点からは共存共栄という概念は生まれない。どちらが上か下かを決めるとき、死那人は年収を決定打にする。だから、初対面の相手にでも、年収はいくらかと堂々と聞くことがあるという。稼ぎの規模が上下関係の決定だなどだと言われても、日本人には何のことだか理解できない。上下関係という視点からだと、日本には様々な視点があるが、それはいずれも日本人には決定打にはならない。日本人の場合は、他人の良いところは何か、欠点は何かを判断し、その人とこんごどのように付き合うかを決める。つまり、自分の価値観と合う人なら仲良くできるし、そうでない人とは通り一遍の付き合いにする。上下関係はほとんど意味が無いのだ。

その3 金銭にのみ価値を見いだすのが、死那人と超賤人の特徴である。つまり、沢山お金を持ち、良い生活を送る事が幸せなのだ。しかし、考えてみればすぐに分かる事だが、お金持ちなどほんの一握りである。つまり、死那人と超賤人は、なれそうにもないヒーローに憧れるが、ヒーローにはなれない。なれそうにもないものに価値を見いだすというまことに不思議な価値観を持っているのだ。また、大きな家に住み、車をいくつも持ち、良い生活ができたとして、病気がちでは意味が無い。健康に過ごせれば小さな家で充分に幸せに過ごせる。

つまり、何が言いたいかというと、お金持ちになって良い生活ができれば、確かに嬉しい。しかし、手の届かない妄想に浸ったところで意味が無い。それよりも小さな幸せを味わうほうがずっといい。私はそう言いたいのだ。







孤独な自獄論者

何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり

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