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『ハンギョレ新聞』(6月21日付)は、「誤った判断が招いた朝鮮戦争、悲劇を繰り返してはならない」と題する寄稿を掲載した。筆者は、パク・チャンスン漢陽大学史学科名誉教授である。
数日後に迫った6月25日は、朝鮮戦争が起きて74年になる日だ。朝鮮戦争が起きる過程では、この戦争についての各国の指導者たちの深刻な誤算と誤った判断があった。
(1)「戦争による統一を夢見てきた金日成(キム・イルソン)は、1949年と1950年の春にソ連のスターリンに会い、戦争支援を要請した。1949年春には「まだその時ではない」と拒否したスターリンは、1950年春にはその要請を受け入れた。この時スターリンは、戦争が起これば米国が介入してくるのではないかと金日成に問うた。金日成は、中国の国共内戦にも介入しなかった米国が、それより小さな朝鮮半島の戦争に介入するはずはないと主張し、米国が介入してきたとしても、その前に速戦即決で戦争を終わらせる計画だとスターリンを説得した。しかし米国は戦争が起きるやいなや直ちに介入を決定し、国連軍を組織して朝鮮戦争の主役となった。金日成の判断は完全に間違っていた」
北朝鮮は、武力による南北統一を実現するチャンスを狙い続けてきた。これが、ソ連と中国を引き込み開戦に至る経緯である。
(2)「ソ連をみてみよう。1949年8月に核実験に成功すると、スターリンは米ソ冷戦対決にある程度自信を持ったようだ。また同年9月に中国共産党が国民党政権を台湾へと追いやり、中華人民共和国政府を樹立すると、東アジアの情勢は共産主義者に有利なものへと変化したと考えた。彼は、金日成政権が朝鮮半島全域を掌握すれば、ソ連の影響力が朝鮮半島南端にまで及ぶと期待したとみられる。彼は、ソ連が朝鮮半島での戦争に直接軍隊を送ることは難しいと考え、戦争が起きて万が一北朝鮮が不利になったら、ソ連の代わりに中国に軍を派遣させるという計画を立てた」
ソ連は、中国が同意すれば北朝鮮へ開戦を認める姿勢をみせた。中国を利用する腹積もりであったのだ。
(3)「中国をみてみよう。スターリンはモスクワを訪れた4月の金日成との会談で、毛沢東の同意を条件に北朝鮮の戦争開始を許した。結局、毛沢東は米軍の介入を懸念しつつも、戦争開始に同意した。毛沢東が同意したのは、スターリンがこの戦争をすでに決意していると考えたからだ。当時、様々な面でソ連の助けが必要だった新生中国の指導者として、毛沢東はスターリンの顔色をうかがわざるを得なかった」
中国は、建国間もない時期でソ連の支援を必要としていた。そのソ連が開戦をOKしたとなれば、参戦するほかないという受け身姿勢であった。
(4)「米国は1949年6月、韓国から軍事顧問団を除くすべての米軍を撤退させた。これは北朝鮮からのソ連軍の撤退に対応したものではあったが、北朝鮮の南侵の可能性を見過ごしたものでもあった。米軍撤退後もまさかソ連が北朝鮮を前面に押し立てて南侵しては来ないだろうと考え、韓国に対しては軍事援助よりも経済援助に関心が高かった。そして、アチソンラインを発表した。ソ連と北朝鮮は、太平洋での米国の防衛線が日本―沖縄―フィリピンをつなぐ線だと考え、韓国はそこから除外されていると判断した。その結果は、ソ連軍の支援を受けた北朝鮮軍の全面南侵だった」
米国は、北朝鮮の開戦を全く想定していなかった。むしろ、韓国を軍事支援することが北朝鮮を刺激するとみていたほどだ。
(5)「韓国は1949年以降、北朝鮮と頻繁に国境線で衝突を起こし、北朝鮮の「全面南侵」も懸念しており、米国に軍事援助を大幅に増やすよう要請していた。米国はそれを拒否した。米国は、北朝鮮の南侵の可能性はあまりないと考えていた。むしろ軍事援助を増やせば、韓国が北侵するのではないかと懸念していた。当時、李承晩(イ・スンマン)政権は北朝鮮の全面南侵に対する備えが不十分であったにもかかわらず、「北進統一」を叫んで虚勢ばかり張っていた」
韓国は、軍備もそろっていない状況下で「北進論」を唱えるなど北朝鮮を刺激していた。これも超楽観論であった。
以上の関係国による判断をみると、韓国が軍事的「空白地域」になったことが悲劇を生む最大要因であったことだ。共産主義国は、この「空白」に吸い寄せられるように軍事進出するのがパターンである。その後の中国が行った南シナ海での占拠も、全てこのパターンに従っている。尖閣諸島も「空白」になれば、簡単に占領するであろう。「空白」をつくることが侵略を招く原因である。
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