引用ここから
自由韓国党の鄭亮碩議員が入手した「海外公館別外交電文送信件数」によれば、米・中・日・露駐在大使館が外交部に報告した電文件数は2016年2万2338件から昨年2万558件で1780件(8・0%)減った。朝米首脳会談、韓米首脳会談など敏感な懸案が続いた駐米大使館まで報告が減ったのだ。
とりわけ減ったのは駐日大使館だ。14年8682件から18年には34・1%も減った。同じ時期、駐中国大使館の報告が15・6%減だったのと比較すれば2倍以上だ。日本と尖鋭な葛藤が生じているのに報告を忌避した。駐ロシア大使館も同じだった。
外交関係が複雑化し懸案が多くなれば報告が増えるべきところだが、反対現象が現れたのは4強大使が“特任大使”(民間人任用)で満たされたためという説がある。大統領に近い“有力者”が大使となって、彼らが大統領府へ直接報告するからだと。
しかし、本当の理由は別のところにある。慰安婦交渉チームの学習効果のせいだ。前政権で日本と慰安婦合意に関与した外交官たちが人事で不利益を被った。実務交渉をした李相徳(イサンドク)前外交部東北アジア局長はシンガポール大使になったが、政府が変わって帰任措置された。金玉采(キムオクチェ)前駐日公使も福岡総領事に回され昨年退任した。駐日大使館に派遣された国家情報院所属のJ政務公使は慰安婦タスクフォースだったという理由で与党の攻撃を受けた後、召還された。
対日外交ラインが軒並み干された理由は彼らが行った外交部報告のためだ。日本との交渉で些細(ささい)な内容まで記録し残しておいた。後任者が戦略的に活用できるように整理しておいたことが裏目に出たのだ。その後、外交界で記録を最小化する風土が造成された。「最上の合意」と評価された交渉が権力主体が変わった後、“新しい解釈”により「積弊」にされてしまう現実がこうした雰囲気を作った。
盧武鉉大統領は前任の大統領が残した記録物が不十分なのを見て嘆き、大統領記録物管理法と大統領記録館をつくって公文書保存を強化した。大統領記録物を一定期間、非公開にしたのは政治報復を恐れて記録物を残さなくなることを憂慮したためだ。
ところが文政権になって、積弊清算に利用されたのがまさに前政権が残した書類だった。これを見た後輩の外交官たちは、いくら文在寅大統領が「創意的で能動的な外交が重要だ」と叱責しても腕組みをしているだけになった。
外交官が報告書作成を忌避すれば、後任者は外交交渉で勝つことは難しい。相手国は引き継ぎを通じてポイントを突いてくるのに、韓国側は白紙状態で臨まなければならない。国家的損失がどれくらい大きいか、計り知れない。
本を燃やした指導者が国を滅びに導いたことは歴史が証明している。報告書を残さない政治がどんな結果をもたらすのかも明らかだ。
引用ここまで
https://vpoint.jp/world/korea/135440.html
超賤人は自分が見たいものしか見ないようだ。世の中は自分と合わないもの(この「もの」とは者、つまり人間やその集団もあり物、つまりあらゆる森羅万象を含む)、自分が嫌いなもの、自分にとっては不都合なもの、そういう物を含めて世の中は出来ている。
それなのに、それは見ないで自分に都合のよいもの鹿見ないのだとすれば、危機がすぐに迫ることは明々白々である。
しかし、愚劣窮まりない超賤人は自分に都合の良いものしか鹿見ないし、自分に都合の良いことしか考えない。
だから、外交がうまく行かない。なぜなら、外交は交渉であり、一方的に自分の言い分だけを相手に押しつけず、相手の言い分にも十分に配慮しなければならない。
そして、意見が合う部分は合意し、合わない部分は再交渉するなり、結論を先延ばしするなりの手段を尽くす。
それが普通の国の交渉の仕方である。
しかし、超賤は自分の言い分ばかりを主張するので、米国からは「彼等はいつも要求やお願いばかりだ」と言われてしまう。
特に文在寅はそういう傾向が強い。
自己主張の強い超賤人が自分の言い分ばかりを言い出したらどうなるか。それが現在南超賤の国会での状況である。
もはや国としての体をなしていない。
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