早くさようならを

http://www.tsr-net.co.jp/news/situation/20140912_01.html

引用ここから

 そういった面から、歴史学者A・J・トインビーが、人類史における諸文明の遭遇を論じた「歴史の研究(1961年発刊、五百鬼頭真氏訳、編集)」の中で想起し提唱された二つの概念「ゼロット(熱狂派)主義」と「ヘロデ主義」が参考となるのでご紹介しておこう。これはトインビーが、「ある国の文明が有力な外部文明から挑戦を受けた際、どう対応するかを、挑戦を受けた側の対応として、古代ローマ文明に対するユダヤの対応を例にして、二つの典型として示したもの」で、幕末の黒船来航で欧米の近代文明に接した日本の伝統文明が、どのような反応を示し、どう対応したか、また第2次世界大戦の敗戦で戦勝国アメリカ流に染め替えられた日本が、どう反応し対応したかなどと対比すると興味深く、考えさせら、学ぶことが多い。

 「ゼロット主義(熱狂派)」とは、「溢れんばかりの民族的なプライドに突き動かされて、勝ち目のない徹底抗戦に走り、集団自決をして果てるといった行動態様」で、近代日本の歴史についていえば、幕末に外国が要求する開国を拒否し、通商交渉に応じようとせず外国船焼き討ちなどをした攘夷派、第2次世界大戦期における外交音痴で頑迷な陸軍の、国土決戦や一億総玉砕を主張した徹底抗戦派などの行動態様で、これで日本は敗戦の悲劇を招くこととなった。

 今でも、西洋文明を代表する超大国アメリカに対する「反米ナショナリズム」の北朝鮮や、中国や韓国、ロシアの一方的な領土主張に対し、軍事強化、自衛隊の戦闘出動容認などを叫び虚勢を張るわが国の右派勢力、アメリカでも、輸出競争で劣勢に立たされた時、日本憎しとその製品のボイコット運動や自動車の叩き壊しをした過激派などで、こういった熱狂的な行動態様は、いつでも、何処にでも、大なり小なり常に存在する。

 この行動態様は、愛国心の発露や強気なプラス発想といえる面もあろうが、問題点は、冷静な事実に基づく合理的判断力を欠き、やや自己催眠・自己陶酔的であることと、その熱狂的煽動が周囲の軽挙妄動しやすい民衆にも波及し、大衆運動として暴発し、理知的なコントロールが出来なくなり、ヒットラーが率いたナチスドイツのように自己破滅の極限にまで突っ走りかねない恐ろしさがあることである。

 これに対する「ヘロデ主義」とは、ユダヤ国(現イスラエル)の始祖であったヘロデ王が、大国ローマ軍の威圧的攻勢を受けたとき、これに軍事的に抵抗することがユダヤ民族絶滅の悲劇に帰結することを洞察し、外交交渉で、国を開いてローマの支配を受忍することを決意したが、その際、ローマの最高権力の下で、自分がローマの属国ユダヤの王として留まり、間接統治することを条件として認めさせたのだが、その意図が、「強大な外部文明に表立って逆らわず、その力の秘密を内側から学びとり、長期的に外部文明を消化吸収して克服すること」にあったことに由来する行動態様である。

 この結果、ユダヤ王国は幾多の屈辱と辛酸もなめたが、近世、資本主義の勃興とと共に実力を蓄え、これが現代に至っても、有能なユダヤ人が世界中に散らばって、表立っては目立たないように振舞いながらも、裏底では暗黙で民族が結束し、隠然たる勢力となって超大国アメリカのみならず、世界の経済・金融市場・情報・資源メジャー、食料資源、金やダイアモンド市場などの主要分野で、大きな主導性と影響力を持ち、彼らが世界の富の約4割を支配しているとさえ言われるようになったのである。

 このヘロデ主義の行動態様は日本でも、戦後の国家再興方針を示した「吉田茂首相のドクトリン(政治・外交での主義や原則)」として選択・採用され、占領軍アメリカの支配に忍従しながらも、日本人としての矜持を保ち、その伝統的文明の長所を温存しつつも、アメリカ流のディベートを通じた自由・民衆主義、科学的合理性の事業経営、最先端技術、教育システム、身分制度の廃止など多くのことを謙虚に学びとって、その後の世界が目を見張る奇跡の早期復興と高度成長の原動力となり、結果として、世界屈指の経済大国となりえたのである。

 戦前の日本の沖縄併合、旧満州(現中国の東北地域)の独立支援、台湾や朝鮮半島の併合なども、決して欧米の悪い面を踏襲し、日本もその亜流の武力的威圧で、遅ればせながら植民地によるアジアの切り取り合戦に参加することだけを企図したものではなく、善意で解釈してもらえば、本来的には、強大な欧米の文明の侵攻に柔軟に対抗する手段として、アジアの後進的弱小国を八紘一宇の精神で結束し、東洋文明を守るために、日本がヘロデ主義の主導国としてまとめ役を買ってでたものであったのだが、後半から軍部の実質的支配力が強まって以来は漸次、全く逆の「ゼロット主義」的行動に転じ、誤った道に突き進むこととなって、結末は、勝てば官軍負ければ賊軍で、狡猾な外交力の戦勝国だけで構成された軍事裁判で、日本だけが全て悪のアジア侵略戦争だと一方的に決め付けられたことも否めない。

 しかしながら、日本の列強国との戦いでの奮戦と敗戦の犠牲の結果、欧米諸国の植民地支配に忍従してきた東南アジア諸国が勇気づけられ、その支配から脱して解放され、独立し得た国も多かったのではなかろうか。

 相手国の悪い面だけ誇張して追求し、内政の不満を他国に向けさせるために、事実を曲げて仮想敵国に仕立て上げることほど卑怯で愚劣な外交手法はない。

引用ここまで

 ここに引用した部分の最後の二行は、南超賤の文在寅が行っていることと、見事に重なっている。

 大東亜戦争に敗戦してから後は、日本はGHQによって厳しく厳重な制約を受けた。

そのひとつがマイノリティに対する批判を許さないと言うことで、第三国人が好き放題に暴れても、日本の警察でさえもうまくこれを制御出来なかった。

それに調子に乗ったのが超賤人どもであり、神戸の山口組がこれを制御した。

今でも超賤人と超賤人に荷担する自虐史観を抜けられない反日左翼の日本人の言論人が、好き放題にやっている。

「日本死ね」では反日左翼は、今回の週刊新潮の「韓国は要らない」特集にかみついた。

 戦後日本の言論界は、反日左翼が牛耳ってきた。

 朝日新聞や岩波書店などが代表的な存在である。

 私などは、内田樹みたいな偏った左翼言論人がものを書かなくなるのは、精神的によいことだと思う。

 内田先生、もっともっと、「私はこの出版社ではものを書かない」というのを広げてください。

 そして、反日左翼の言論が、現実によって相当毀損されそうな日も近づきつつある。

 それが文在寅の北超賤への接近によって現実のものになったとき、左翼言論界は旧来識の論調では主張しにくくなる。

 なぜなら、民主主義、自由、人権など、現在の日本人が享受している価値観とは全く別の価値観を持つ、北超賤とほぼ同等の世界が南超賤で実現したとき、擁護のしようがないからだ。

 まあ、それは簡単には実現しないが。

 ただし、米韓同盟が崩壊すれば、当然の様に日本は米国と歩調を合わせるので、南超賤とは縁遠くなる。

 そうなれば、いつまでも反日左翼の従来の様な南超賤を助ける論調は姿を消さざるを得なくなる。

 実際にはこちらのシナリオのほうが現実味を帯びている。

 一日も早く南超賤とはさようならをしたいものだ。

孤独な自獄論者

何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり

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