死那狂惨党を終わらせよう

昭和20年12月10日、昭和天皇は当時の松村謙三農林大臣を宮中に呼ばれ、以下のように伝えられた。

「戦争で塗炭の苦しみを受けた国民に、このうえ餓死者を出すことは自分には耐え難い。政府の要請にアメリカは食糧を与えてくれないというが、考えれば当方に代償として提供すべき何物もないのだからいたしかたない。それで、聞けば皇室の御物(ぎょぶつ=宝物〔ほうもつ〕)の中には国際的価値のあるものが相当にあるとのことだから、これを代償としてアメリカに渡し、食糧に代えて国民の飢餓を1日でもしのぐようにしたい」。

そう仰って、帝室博物館の館長に命じて作らせた皇室御物の目録を渡されたという(松村氏『三代回顧録』昭和39年)。松村氏はこれを幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相に渡し、幣原氏がマッカーサーに同趣旨を伝えた。

これに対し、マッカーサーは以下のように答えた。

「天皇のお考えはよくわかるが、自分としてもアメリカとしても、皇室の御物を取り上げてその代償に食糧を提供するなどは面目にかけてもできない。しかし国民を思われる天皇のお気持ちは十分に了解したので、私が責任を持って必ず本国から食糧を輸入する方法を講じる」と。

その後、マッカーサーが実際にアメリカに食糧を要請した事実が知られている。この件に関して、昭和54年8月29日に記者らが直接、そうした事実があったのかお尋ねしたところ、昭和天皇のお答えは次の通りだった。

「そういうことがあったのは事実です。しかし、自分のしたことですから余り公(おおやけ)にしたくありません」(朝日新聞、昭和54年8月30日付朝刊)

しかし、昭和天皇ご自身は謙虚に「余り公にしたくありません」とお考えだったとしても、国民は広くこの事実を知っておくべきだろう。

さて、天皇陛下というのは、ここまで日本国民のことを思し召しくださる存在なのだ。

それは、天皇家が日本の権威を示すものとしての地位を確立されて以来、ずっとそのようなあり方なのである。

今度は、天皇陛下をいかに日本人が慕っているのかという事実。

『ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだからね

旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。 

ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の小男ということを日本人に知らしめてやる必要がある。

神さまじゃなくて人間だ、ということをね。

それが生きた民主主義の教育というものだよ。』

昭和21年2月、昭和天皇が全国御巡幸を始められた時

占領軍総司令部の高官たちの間では、こんな会話が交わされた。

しかし、その結果は高官達の”期待”を裏切るものだった。

昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られた。

行程は3万3千キロ、総日数165日。

各地で数万の群衆にもみくちゃにされたが、石一つ投げられたことはなかった。

イギリスの新聞は次のように驚きを率直に述べた。

日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。

各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。

何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。

天皇陛下、皇室が続く限りは、日本は常に安定した社会であり続ける。

それは、歴史が証明している。

だから、無信仰で狂惨党以外の権威を一切認めない死那狂惨党などに日本が支配されてはならない理由なのである。



孤独な自獄論者

何にも縛られず思い付くままに好き放題に書いています。 物言わぬは腹ふくるるわざなり

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