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引用ここから
昭和20年8月15日以降に起きたことで、日本人が知っておくべき事実がある。
朝鮮人の寝返りである。
日本との併合で「これで朝鮮も日本と同じ一等国になった」と思っていたのが終戦を機に一夜で朝鮮人が変わってしまった。
これは「独立したい」「日本への反発」と言うよりも、朝鮮人の事大主義で「戦争に負けた日本とは一緒にやっていけない」と勝った方・強い方になびく朝鮮人の特性である。
朝鮮人は「自分達は日本人ではなくなったので敗戦国日本の法令に従う義務はなく、自分達は戦勝国に準ずる国民だ」として不法行為をして治安を乱した。
しかし、昭和20年9月の「マッカーサー検閲30項目」の中で「朝鮮人への批判が禁止」されたため、終戦直後からの朝鮮人犯罪の記録が残っておらず、何もなかったことになっている。
ただ当時の日本人は朝鮮人の数々の悪行を見て知っていた。
朝鮮人は通りすがりの日本人に言いがかりをつけて集団暴行したり、無銭飲食は当たり前。白昼に目についた日本人女性を路上で集団強姦していた。
こういう光景は日常茶飯事である。
また終戦後の警官は一切の銃器の所持が許されず、丸腰の警官は朝鮮人に叩きのめされたため、警察も朝鮮人の悪行を見て見ぬ振りをした。
さらに朝鮮人は武装解除された日本軍の歩兵銃や拳銃を盗み、約3万人の朝鮮人が「朝鮮進駐軍」を名乗って無差別に日本人を殺害した。
GHQの記録には「4000人以上の日本人が殺された」とある。
朝鮮進駐軍は、国有地も都心駅前一等地の土地も不法略奪し、金品略奪、婦女子強姦、銀行襲撃、食料や商品を根こそぎ奪って、それらは全て闇市で売りさばいて暴利で財を成し、日本中にパチンコ店や風俗が増えた。
この不法占拠のまま土地が登記されて現在に至っている。
そして当時、朝鮮半島にいた日本人女性である。
終戦後、博多港には満州や朝鮮からの多くの日本人引揚げ者がいたが、女性の姿は目もそむけたくなるほどボロボロの姿であった。
当時、引揚げ者の診療に当たっていた西岡利之著『ある戦後史の序章』にはこう書いてある。
「若い婦人達の多くは断髪し、女性の命ともいうべき顔面などを煤(すす)などで故意に汚し、胸部は厚く布を巻いて乳房を圧し、ズボン姿の男装が多く、その脱出の苦労が察せられた」
一体、日本女性には何があったのか?
終戦後2週間もたたないうちに、朝鮮半島38度線以北はソ連軍が制圧し、ソ連兵と朝鮮人保安隊による日本人迫害と虐殺が行われた。
『ある戦後史の序章』には、避難民救済活動を行っていた石田一郎氏の以下のような手記が掲載されている。
「北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦の末やっと38度線近くの鉄原にたどりついた。そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々辱められた上、虐殺されている光景であった。
最愛の二人の娘達もまもなく同じ運命をたどるであろうことを不憫に思い、松の木に縊(くび)って自決させた。
これはその遺髪です、と言って私に見せてくれた。もう涙も涸れたのか淡々と他人事のように語る表情の中に私は深い悲しみを見た」
昭和21年になると、1割近い日本人女性がソ連人や朝鮮人に暴行を受けて妊娠したり、性病に冒されて帰国し、先行きを悲観して引揚げ船から身を投げる日本人女性も多かった。
そのような女性達を救おうと、民間組織である在外同胞援護会救療部が、厚生省引揚援護局の協力を得て二日市保養所(福岡県二日市町)をつくった。
当時、堕胎は罪であったが、厚生省はこの施設に限って超法規的処置として「強姦によって身ごもった女性」の堕胎手術を黙認した。
二日市保養所の医務主任、橋爪将氏は昭和21年6月10日付の「現状報告書」に次のように記している。
「不法妊娠を地区別に分類するに、北朝鮮24にして最多。南朝鮮14、満州4、北支3の順にして、朝鮮人に因る者28、ソ連人に因る者8、支那人に因る者6、米人に因る者3、台湾人、比島人に因る者各1なり」
日本人女性に性的暴行(レイプ)を加えた者の圧倒的多数は朝鮮人だったことを日本人は知っておくべきである。
参照:「終戦時の女性への暴虐行為 46年には1割近くが被害、自殺者も」(松木國俊)
『ある戦後史の序章』(西岡利之)
『水子の譜』(上坪隆)
『ある朝鮮総督府警察官僚の回想』(坪井幸生)
『忘却のための記録』(清水徹)
『拉致と侵略の真実』(撃論ムック)
『国家の覚醒』(西村眞悟)
引用ここまで
大東亜戦争が火ぶたを切った昭和16年から17年に書けて、米国のルーズベルト政権は「日本計画」を策定した。
その中に、「内部の反逆、破壊活動、日本内部のマイノリティー集団による暴力事件・隠密事件への不安をかき立て、それによって、日本新のスパイ活動対策の負担を増大させること」というものがある。『戦後日本を狂わせたOSS計画 二段階革命理論と憲法』 田中英道著による
その基本路線に従って、超賤人や同和などが幅をきかせた時代があり、マイノリティーには何も言えない、サイレント・マジョリティーの日本人集団が形成された。
しかし、時代は変わった。
在日出会った李明博、朴槿恵、文在寅と連続して反日をあからさまにした南超賤の政権に対して、日本人は覚醒したのだ。
もう何があっても、南超賤を許すことはないと多くの日本人が思ったのだ。
大嫌韓時代の到来である。
南超賤の現政権は左翼活動家みたいな人物だらけなので、日本との連携が如何に大切なのかを全く理解していない。
まあ、何を言ってきても、放置して置けば良い。
おとなしくさせようとしてエサを与えるのが一番いけない。
いったんエサを貰ったら、当面は大人しくなるが、また騒ぎ出す。
それが超賤人なのである。
超賤人は徹底的に叩いて教育し直さない限りは、つきあえない相手だ。
このように愚かで高慢な民族はいない。
支那人やロシア人のほうがいくぶんましである。
つまり、最低の民族である。
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